

こんにちは。代表の齋藤です。宮城県気仙沼市の山奥で育った私は、物心がつくころからカメムシのそばにいました。
野菜炒め
カメムシ、それはまるでホヤのような存在です。東京の人は、カメムシとの関係性が少ないようで、新しい食材としても期待する人もいますが、私にとっては特筆するほどの相手でもありません。なぜなら、物心ついたときから常に横にいて、そこに居るのが当たり前という感覚があるからです。
思い出といえば、幼いころ、野菜炒めが食卓に並び、心を弾ませていたときに、天井からポトッと落ちてきて、そのまま野菜炒めにとまったこと。驚きのあまり叫びそうになりましたが、そこで騒いではあの独特のにおいをお見舞いされてしまいます。そう、私とカメムシのあいだでは常に冷静さが求められるのです。興奮は禁物であり、静かにそっと対処するのが肝心なのです。
冷静さ
カメムシとの付き合い方は、一にも二にも「冷静さを失わない」こと。絶対に騒がない。驚いて慌てたりしたら、逆に反撃を食らう危険性があります。野球のグローブの中、長靴の奥、お風呂の浴槽、そしてベッドや車の中といった逃げ場のない密室で遭遇した日には、特に細心の注意が必要です。ここで大声を出してしまえば、その時点で私の負け。落ち着いて対処しなければ、あの独特のにおいをお見舞いされるだけなのです。
それでも、私はカメムシを心底嫌ったことはありません。遭遇するとため息はつくものの、日常の風景に溶け込みすぎていて、もはや嫌うというより「そこにいて当然」という感じなのです。一見くさくて敬遠されがちですが、どこにでもいる存在だからこそ、私にとっては特別扱いするほどの相手ではありません。
東京
東京の人のように、その潜在的な魅力や未知の味わいに気づく日がいつか来るのかもしれません。けれど、私には高級な食材になる姿はまったく想像できないのも正直なところなのです。結局のところ、私とカメムシはただ隣り合わせに生きているだけ。話せば面白いかもしれないけれど、深く語るほどでもない。そんな奇妙な距離感こそが、私とカメムシの長い付き合いを支えているのかもしれません。
どうやら、遠くでカメムシのお祭りが始まったようです。